ピーター・シンガー『動物の解放』をわかりやすく要約

動物倫理が本格的にスタートしたのは、オーストラリア出身の哲学者ピーター・シンガーが書いた『動物の解放』(初版1975年)からと言われています。

『動物の解放』内容紹介

世界における動物福祉論の最大の画期となり、現在まで重要性を増し続ける革命的書物にしてシンガーの代表作。

そのあまりに苛烈かつ論理的な倫理の要求は、われわれ全存在に向けられている。大幅な改稿を施された2009年版にもとづく決定版。

『動物の解放』の要約

本書の目次

  • 序文
  • 第一章:すべての動物は平等である
  • 第二章:研究の道具
  • 第三章:工場畜産を打倒せよ
  • 第四章:ベジタリアンになる
  • 第五章:人間による支配
  • 第六章:現代のスピーシズム

本書は400Pほどの分厚い本なので、要点絞って解説していきます!

序文

『動物の解放』はこの言葉から始まります。「本書は、ヒト以外の動物に対する人類の専制政治についての書物である。」

シンガーは、人間の動物に対する専制政治(支配者が独断で思いのままに事を決する政治)は、白人の黒人に対する専制政治と匹敵するものであり、現代の道徳的・社会的問題のなかでも最も重要なもののひとつであると書いています。

「動物を解放しよう!」というと「動物愛護」の本と思われるかもしれませんが本書はそうではありません(そもそも海外では「動物愛護」というより「動物虐待防止」の意味合いが強い)。

シンガーは本書を「基本的な倫理原則の適用範囲はヒトのみに限られるべきではないと考えている人のために書かれたもの」と書いています。序文にはシンガーがこの本を通して、何を伝えたいのかが簡潔なメッセージで書かれているので一部抜粋します。

本書は、「かわいい」動物たちへの同情をよびおこすために感情に訴えるものではさらさらない。

私は、肉を食べるために豚を屠殺することに対して、馬や犬を同じ目的で屠殺することに対するのと同じように激怒しているのである。

p14

本書の目的は、読者に、ひとつの非常に大きなグループ(ヒト以外の種の成員)に対する態度と行為についでの考えを変えるように促すことである。

p16

この問題については、肉を食べる人はだれでも利害関係なのである。

(中略)

習慣。それは動物解放運動が直面している最後の障害である。

p17

動物を飼って肉のために屠殺するのをやめることによって、私たちは人間のために大量の食糧を新たに確保することができる。

その食糧は、適正に分配されるならば、地球上から飢餓と栄養不良を一掃することができよう。

動物解放は、人間の解放でもある。

p19

シンガーは肉食文化や残酷な動物実験のあり方について「その価値観は人それぞれだよね」で済まそうとはしません。

僕らは物心ついた頃から、お肉を食べることが当たり前になっていますが、その畜産動物の現状を知る機会はとても少ない。

その無知を脱却して、動物への接し方を見つめ直すようシンガーは説得しています。

第一章:すべての動物は平等である

人種差別や性差別のようなあらゆる差別を反対するというのは、根本的に「知性や体力やその他の差異によって差別をしてはいけない」という平等意識があります。

ですが、平等というのは両者を正確に同じやり方で扱わなければならないとか、両者にまったく同じ権利を付与しなければならない、ということではありませんよね。

「平等」について考えるときは下の絵のような、左側の「形式的な平等」と、右側の「実質的な平等」を考える必要があります。

なので、「すべての動物は平等である」というのは当然、犬にも選挙権を与えろという話ではありません。本章にはこう書かれています。

平等の基本原則は同一の扱いを要求するのではない。それは平等の配慮を要求するのである。異なる存在に対して平等な配慮を行なった場合には、異なった扱いや異なった権利が結論として引き出されることになるかもしれない(p23)。

 

では、「平等な配慮」とはなんでしょうか?

これに対してシンガーは、功利主義(最大多数の最大幸福)の創始者であるベンサムの言葉を借りて「苦しむ能力」というキーワードを持ち込みます。

ベンサムは次のように述べている。

皮膚の色が黒いからといって、ある人間にはなんらの代償も与えないで、気まぐれに苦しみを与えてよいということにはならない。

 

同様に、いつの日か、足の本数や皮膚の毛深さがどうであるから、あるいはしっぽの有無がどうであるからというので、ある感覚をもった生きものをひどい目にあわせてよいということにはならないということが、認識される時がくるかもしれない。

 

いったいどこで越えられない一線をひくことができるのだろうか?

 

問題となるのは、理性を働かせることができるかどうか、とか、話すことができるかどうか、ではなくて、苦しむことができるかどうかということである(p28)。

よくヴィーガンに対して「植物も生きているのに食べていいのか?」という意見がありますが、植物は苦しむことができないと考えられていることが大きな線引きになっています。

 

つまり、畜産動物が劣悪な環境で育ち最後に屠殺されることも、実験のために動物を苦しめることも、平等な配慮とは言えないのです。

人間と同じように動物も苦しむことができるのに「動物だからOK」というのは、動物に対する差別であり、シンガーはこれを「種差別(スピーシズム)」と呼びました。

屠殺された動物のお肉を毎日食べている人にとって、自分が間違ったことをしていると考えるのは難しいですが、畜産業の利害関係者であり種差別主義者と言えるのかもしれません。

第二章:研究の道具

第二章では研究の道具として使われる動物実験について、「軍事実験」「心理実験」「医療実験」を例に挙げています。その中でも最も苦痛を与える実験の多くは心理学の分野で行われていると言う。

心理学の領域でもっともありふれている実験のひとつは、動物に電気ショックを与えるものである。これは様々な罰に動物がどのように反応するかを見るために、あるいは動物に異なる仕事をするように訓練するために、行われることがある。

ピッツバーグ(ペンシルベニア州)の心理学研究部門は、1024頭のマウスの足に電気ショックを与えた。それから動物の目にくっつけたカップ型の電極を通して、より強いショックを与えることによって、痙攣を引き起こした(p68)。

研究部門は「残念ながら第一日の訓練がうまくいったマウスの何頭かが、第二日のテストを行う前に病気になったり死んだりしていた」と報告した。

 

なぜ拷問のような実験が可能なのか。

なぜ、サディストでもない男女が勤務時間中に、サルを一生つづくうつ病状態におとしいれたり、犬に死ぬまで熱を加えたり、猫を薬物中毒にしたりできるのだろうか?

なぜ、それから家に帰って家族といっしょに食事をすることができるのだろうか?

なぜ、納税者たちは税金がこのような実験のために使われるのを許容できるのか?

これらの質問に対する答えは、スピーシズム(種差別)を何の疑いもなく受け入れているからだとういことである(p96)。

僕らは、人間に対して行われているときには激怒するような残虐行為であっても、動物に対して行われている場合には大目に見てしまいます。。。

 

どのような場合に動物実験は正当化できるか。例えばこんな仮説的な質問があります。

「実験者たちは、もし数千人の人命を救う方法が他にないとすれば、生後6ヶ月以下の人間の孤児を実験に使ってもやむをえないと考えているのだろうか?」(p109)

もし実験に幼児を使うことに躊躇するのであれば、人間以外の動物を使うのは種差別であると言えます。

これは類人猿、犬、猫、マウス、その他の哺乳動物は、人間の幼児に比べて、自分の身にふりかかることに対して、よりはっきりと気づいており、少なくとも同じくらい苦痛に対して敏感であるからです。

動物と同じような知的レベルにある幼児や脳障害のあるヒトを使うことを提案することは想像できないため、動物実験を道徳的に正当化しようとするのはとても難しいことなのです。

第三章:工場畜産を打倒せよ

もくじ

  • 鶏の運命
  • 過密の産卵鶏
  • 知的な豚の飼育方法
  • 肉用仔牛の飼育の方法
  • 乳牛の運命
  • 肉牛たちは
  • 五つの基本的な自由
  • 動物の苦しみ
  • 屠殺の現場
  • 動物福祉

第四章:ベジタリアンになる

もくじ

  • 生産の非効率と環境破壊
  • 食べることが許される境界
  • ベジタリアンへの疑問に答える

第五章:人間による支配

もくじ

  • キリスト教以前の思想
  • キリスト教思想
  • ルネサンスの時代
  • 啓蒙主義運動とそれ以後

第六章:現代のスピーシズム

もくじ

  • 「人間が第一だ」
  • スピーシズムの口実
  • 植物は苦痛を感じるか
  • 種差別と哲学
  • 結論